百合のどこが好きなのか考えてたら4時半になってた

少し天鳳の話をさせてください。6段になってからすぐ(具体的な期間は思い出せないし思い出したくもない)4段に落ちて、もうやらねーよこんなクソゲーと思ってたけど、最近パン卓で遊んでました。ゴミみたいな手からカスみたいな鳴きして和了る快感はやっぱり忘れられません。おかげで副露率は5割です。また麻雀記事書きたいなあ。

 

 

 

男が出てこないところだろうか?
自分が最も知っている男という存在がいないことで、現実逃避がしやすくなるのだろうか。
確かBLの好きなところ~みたいなランキング(ニコニコ動画のニュースにあった)でも現実逃避が理由に上がっていた。
百合作品の感想の中に、たびたび「このキャラは男の俺には理解できないから~」という文言を見かける。では、これが現実逃避できる理由だろうか。
しかしこれは不適当に思える。というのも、男か女かでその思考の内容が大きく変わるとは考えられない。ついでに言えば脳の性差は無いという研究結果も出ている。(脱線するが、だからと言って百合作品の作者の性別に拘りがないわけではない。後述)


残る理由といえば、マイノリティ、アブノーマルだからというものが思いつく。
これなら納得できる。少数側をあえて選択するのは、その行動に確固たる理由が存在することの証明だからだ。
例えば、男が好きな普通の女の子が女の子を好きになったら、よっぽどその人のことが好きなんだろうなあと思うだろう。つまり、そういう「確かさ」を百合の中に見ているということである。
しかしこれには致命的な欠陥がある。もしその子が普通の女の子でなくレズなら、女の子を好きになるほうが自然、多数側になってしまう。
レズ×ノンケならまだこの欠陥は紛らわせるが、レズ×レズならもうそうは言えない。だがよく考えてみて欲しい。レズ×レズの作品なんて、この世に存在するのだろうか?
桜Trickという作品がある。主人公格の春香と優は、「女の子どうし」に全く抵抗がないようにみえる。だからと言って、この二人がレズ×レズということにはならない。彼女らの”それ”は性的関係ではない、というよりは、ではないように見えやすいからだ。私が思うに、このことは「友情が先か、性欲が先か」という問題に帰結するのだろう。異性愛ではどうしても性欲が先に来るイメージのほうが強くなるし、同姓ならその逆になる、ということではないだろうか。

 

 

まとめよう。
私達は、百合に少数側であることを求めていて、友情が性欲を上回っていることに喜びを感じているのだ。


もしくは、女しか出てこないところが好き、つまりヘテロセクシャルの極みであるのかもしれない。(吐き気)

 

 

※後述すると言った内容

この話題はあまり出したくない(めちゃくちゃ荒れる)けど一応自分の中の結論を言っておく。
作者が男であるか女であるかでは明らかな違いがある!
男ならそれはノンケであり、女ならレズだ。
百合豚腐女子はNLを嫌う傾向にあるから(僕がそう、見当はずれだったらごめん)、そういう差別をしてしまうのは無理ないんじゃないかな。もちろん僕はしないように心がけてるけど。そういう性差別は同性愛者が一番気にかけることだろうし。さらに脱線するけど、女作者のツイッターを男の僕がフォローするのにすごい抵抗がある。僕が百合を見る目にヘテロ的な要素が入ってることは否定できないし、そういうヘテロを同性愛者が嫌うと考えているからだ。……考えすぎですかね?


※追記 「百合 魅力」でググった結果について

多様性という言葉が見つかった。なるほど、確かに百合にはたくさんのジャンルがある。
異性愛ならせいぜいキスかセックスが関の山だろうが、百合には『ごちうさ』のような友情面の強い関係や、『魚の見る夢』のような姉妹という家族関係の発展形や、『マラケシュ心中』のようなレズ×ノンケの関係や、『WIXOSS』のような依存関係や、……(永遠に続く
つまり好きなシチュが見つかりやすいってことなのかな。多分。